しち
つまり僕は、
そういう冷めた所のある子供だった。
それが関係するかは知らないが、
幼稚園児の頃から今まで、ずっとうまく眠れない。
無理矢理、睡眠薬を使って眠るか、
一晩中起きておくか…どちらかだ。
僕は薬は嫌いなのだが、
あまりに眠らないと、突然意識がなくなる。同じ不眠症の人でも、それは体質なのだと言われた。
生憎授業に支障をきたす程なので、嫌々ながら飲み続ける毎日だ。
だから、よく、深夜に家(こう呼ぶのは、正直気味が悪い。)を抜け出して、色々な所をただ歩いていた。
密かにそういう外出を始めて半年ほど経った頃か。
5歳の時、はじめて人に会った。
夜中に人が来るわけがない廃ビルを見つけていたのに、その日、はじめて人が来たのだ。
しかも、驚くべき事に、それは同い年の少年だった。
ただ、笑いもしない彼は、
お世辞ではなく、幼い僕にも分かる程までに、綺麗な人間だった。眉目秀麗な青年になる事を思わせる容姿で、
でも、肝心の目は、言葉通り光を持たなかった。
思えば、その頃の僕もそうだったかもしれない。
何も経験しない間に失望だけを覚えていた。
人はみんな一緒だ。
どれだけいい事を口で言っても、結局は自分の言葉は全て正しいと思っていて自分が一番可愛くて人を踏み台にするのも悲劇のヒロインぶって子供に自殺を止めさせる様な真似を出来るのも意味を成さずに殴る事もみんな当たり前だから。そして、それを理解出来ず酷く恐れる自分は、社会不適合者だから早く死ななければならない。
歪んだ考えかも知れないが、この時は、
笑うだけで胃が痛んでいた。
正しい生き方を学ぶ事に必死だった。
しかし、あまりの苦痛に、耐えきれなかった。
だから諦めて、飛び降りてやろうとした時に、彼が来たものだから、僕は様々な感情を持て余したまま、熱を失った。
彼が暫く僕を見てから、
彼特有の、イントネーションの浅い口調で、
淡々と言った事が、今でも一言一句違えずに残っている。
「今、どんな気持ち。
俺が死ぬ時に、使ってみるから、教えてよ」
因みに、僕はこれに対して、
「使うって、どうやるの」と応えた。
今思えば、普通の5歳児はこんな会話しないだろうか。
しないだろうな。
普通ってなんだろうか。