今夜は薬が無い。

早めにYの元へ行くべきだったが、一歩も動けなかった。


最近調子がよかったせいで
要さなくなっていた憂鬱が、
また目を合わせてくるから、
ゆっくりではあるが、続きを書こうと思う。




僕らが会う夜は、予め決めてはいなかった。


不思議と会えてしまうのだ。


一度、僕が行かなかった日に、
Kはひとりで来たことはあるのかと聞いた事がある。
Kは少し、奇妙な返事が返された。



「一度、無理矢理に起きて、ここへ来た事がある。
ここに、Tは居なかった」


Tというのは自分の名だ。



僕らはそうやって、眠れない沢山の夜を二人で過ごし、
疲れ果てて眠りたい時には、
何度も目を覚ましながら、ベッドにうずくまっていた。

はち

最近、無気力である夜が多いから、

僕はなかなか話を続けられない。

Yは、それに関して何も言わない。

彼女はいつもそうであるのだ。良いとも悪いとも言わず、ただ、微笑むだけの。

 

今思えば、僕はあの時、自殺を試みていたのだ。

7歳の子供が、一般的な恵まれた環境を恨むばかりで疲れて、そのまま。

それを止めた彼は、生きたいと思った事こそないが、一応、命の恩人という名も従わすのだろう。

 

彼の名を、Kとしよう。

容貌がとても綺麗な、7歳のK。

僕達に、友達等は必要なく、それから大事な事は7歳の『無知の知』は異常な力を持っていたという事。

考えてみてほしい。

その平和な街の一角で、夜中に、欠陥品の扱いを受ける子供が、出会った。

もう、何も怖くなかった。

 

行き場のない恐れを、理解せずとも、受け入れる相手がいる。それだけで、何にでも勝てたはずだった。

 

 

 

 

疲れた。眠ろう。

 

もう暫くは、病院に行かずとも、

多めにもらった薬はもつはずだ。

しち

つまり僕は、

そういう冷めた所のある子供だった。

 

それが関係するかは知らないが、

幼稚園児の頃から今まで、ずっとうまく眠れない。

 

無理矢理、睡眠薬を使って眠るか、

一晩中起きておくか…どちらかだ。

僕は薬は嫌いなのだが、

あまりに眠らないと、突然意識がなくなる。同じ不眠症の人でも、それは体質なのだと言われた。

生憎授業に支障をきたす程なので、嫌々ながら飲み続ける毎日だ。

 

だから、よく、深夜に家(こう呼ぶのは、正直気味が悪い。)を抜け出して、色々な所をただ歩いていた。

密かにそういう外出を始めて半年ほど経った頃か。

5歳の時、はじめて人に会った。

夜中に人が来るわけがない廃ビルを見つけていたのに、その日、はじめて人が来たのだ。

しかも、驚くべき事に、それは同い年の少年だった。

ただ、笑いもしない彼は、

お世辞ではなく、幼い僕にも分かる程までに、綺麗な人間だった。眉目秀麗な青年になる事を思わせる容姿で、

でも、肝心の目は、言葉通り光を持たなかった。

思えば、その頃の僕もそうだったかもしれない。

何も経験しない間に失望だけを覚えていた。

人はみんな一緒だ。

どれだけいい事を口で言っても、結局は自分の言葉は全て正しいと思っていて自分が一番可愛くて人を踏み台にするのも悲劇のヒロインぶって子供に自殺を止めさせる様な真似を出来るのも意味を成さずに殴る事もみんな当たり前だから。そして、それを理解出来ず酷く恐れる自分は、社会不適合者だから早く死ななければならない。

 

歪んだ考えかも知れないが、この時は、

笑うだけで胃が痛んでいた。

正しい生き方を学ぶ事に必死だった。

 

しかし、あまりの苦痛に、耐えきれなかった。

だから諦めて、飛び降りてやろうとした時に、彼が来たものだから、僕は様々な感情を持て余したまま、熱を失った。

 

彼が暫く僕を見てから、

彼特有の、イントネーションの浅い口調で、

淡々と言った事が、今でも一言一句違えずに残っている。

 

「今、どんな気持ち。

俺が死ぬ時に、使ってみるから、教えてよ」

 

因みに、僕はこれに対して、

「使うって、どうやるの」と応えた。

 

今思えば、普通の5歳児はこんな会話しないだろうか。

 

しないだろうな。

 

普通ってなんだろうか。

ろく

僕の構成部品をさらけ出すとなると、最初は、

気恥ずかしいが、僕の話になる。

 

前にも言った通り、僕は嘘つきだ。

 

最初に嘘を自覚し、人を偽ったのは、

僕が2歳の頃だった。

僕の母は、表向きはとても明るい人だ。

友達も多く、父ともそれなりにうまくやっている。父は、とても賢く、優しい人だ。

つまり僕は、所謂幸せな家庭に生まれた。

母方の家で育った為、そちらの親戚に会う事は多く、

その度に、母に似て、明るい子だねと。

僕は本来、静かな場所に居たい人間だ。

だが、それは許されない。

事情により早くに入れられた幼稚園も、母や祖母の知り合いで溢れていた為、

いつも騒ぐ様なグループにいつも振り分けられ、それらにあわせて笑い、散々だった様に思う。

 

2歳というのは、そういうやり方を覚えた時期であって、

それから、その性格を中学まで貫いていた。

 

やはりどこかで、人を拒絶しているのがばれるのか、一部には疎まれてこそいたが、

常に周りには、勝手に寄ってきては、

何もしてないのに親友だからと言われる様な存在にはなっていた。

 

我ながら、本当によくやった。

話したかった訳では無いが、

誰にも話せなかったから、毎日震える身体を抑え込んで登校する毎日だった。

遠慮無しに触れる様な人は怖いし、意味もなく殴ってくる母と教師と、それにサイレンも怖い。

 

今は、環境に恵まれている。

学校はコースの関係で、少人数であるし、皆が賢くて、無駄な揉め事なんかも槍が降らないと起きない。

独りで、好きな様に読書をしても何も起きない。

 

改めて、クラスメートに感謝しなければいけない。

こんな不出来な僕を、クラスメートとして受け入れ、

毎日を共にさせてもらえるのだから。

医者の彼女が、僕に名前を文字にして教えてくれた。

聞いただけでは、意味がわからないだろう。

僕は別に何かしらの障害を持っている訳では無いし、

学校でも特進である事を根拠に、一応人並みにはできるつもりだ。

しかし、何故か不思議な事に、

音として聞く言葉が、特に人の名前等は、

殆ど覚えられない。

 

小さな頃から、情報は全て本で得たと言っても過言ではない様に思う。

 

ここでは記せないが、個人的には、

彼女の名は、綺麗な字面だと思った。

やっと彼女の名を知れた事を記録する為、

これからは彼女をYとでも呼ぼう。

 

Yと今日話した事を要約すると、

僕の全てを造っている出来事を残るべきだと。

 

自分の中でも、その存在は、何をするにもついてくる。

あまりに詳細を書いて、特定されるのも避けたいが、

でも、これを少しでも見た人には、どうか証人になって欲しい。

 

僕の中には、自分よりも大切な人がいる。

守る為なら、それ以外は何を壊しても、

僕が悪になっても構わないと思っている人がいる。

家族を亡くし、いくらもがいても愛されなかったその人が、ちゃんといた事を、

少しでいいから、どこかで忘れないで欲しい。

 

 

人に語れるような人間ではないから、ここまでにする。

保健室で横たわった僕は、折角来てくれたクラスメートとまともに話す気になれず、

ぼんやりと空間を見ていた。

 

気がついたら彼は消えていて、

どうでもいいかと思い目を瞑った所で、

またカーテンが開かれた。

足音が担任の男教師のそれだった。

 

寝たふりをしている僕の瞼に、

ゆっくりと大きな手が重ねられた。

怖かった。

手の大きさや、行動の意味自体に、

圧倒的な強さを感じられたから。

今なら、何をされても、

僕は狸寝入りをやめる事が出来ないし、

簡単に壊される事が出来るのだと悟った。

その考えが読まれたかの様に、僕の目を覆っていた教師の手は、

僕の首筋へとつたい、微かに力がこめられた。

 

何をされているのか理解に時間がかかり、

それから苦しさで、軽く咳き込んだ。

すると手が離れて、カーテンが閉まる音がして、

目を開くのが怖かった僕は、また眠った。

 

書いていたら、悲しくなってきた。

何もかも、意味がわからない。

その教師は、今も担任だ。

無口な僕に、前と変わりなく接してくれる。

さん

夜中に死にたくなるのは、僕だけか。

 

いちで書いた事への答えは、わからない。

それに、知りたくもない気がする。

 

過呼吸を起こして、初めて僕は気を失って、

お決まりの様に、保健室で横にされたまま目が覚めた。

特に何かを考えた訳では無いが、

嫌な汗と涙と、血が出る程噛み締めた奥歯が

ただ煩かった事だけは、忘れない様にしようと思った。

 

救急車を見た時に、一緒にいたクラスメートが、

目が覚めてから暫くして入ってきた。

そこで見た奇妙な表情が怖くて、

それ以来、今でもずっと、彼の目を見れないでいる。

僕は一体、彼に何を見せてしまったのだろうか。

 

今更だが、僕の今について、

書き残さなければならない気がする。

と言っても、ここで特筆すべきは、

おそらくそんなに多くない。

 

先ず、僕は高校生だ。

そこそこうまくやっているが、その本性は、

比喩ではなく、嘘で塗り固めた最低な人間だと、自覚している。

そうやって、表向きは一応穏やかでいるつもりだが、

あまりに怒りにかられると、記憶が飛ぶ。

格闘技などしたことはないが、覚えてない間は、人に対して、酷い事をしているらしい。

それから、例外こそ2年に1度程度あるが、

同じ夢を見続けて、今年で9年目になる。

その内容が、実際あった事であり、

医者はそれを、PTSDなのだと言った。

救急車のサイレンが嫌いな理由もそこにある。

今はどうでもいい。

 

最近は、生まれて初めて、

カウンセリングというものにかけられて、

正直、訳がわからない。